説教「仰ぎ見る、主の栄光と神の救い」
ルカ3:1~6
待降節第2主日(2015年12月6日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹
待降節を迎えて、教会の暦は、世俗の暦よりも一足早く新しくなりました。新しくなって、これからルカ福音書を中心にキリストのみことばを聴いていきます。先週は日野原先生にお越しいただくということで特別な礼拝となり、聖書テキストもそのために選びましたが、本日の礼拝から暦に従って、ルカ福音書から福音を聴いてまいりましょう。
きょう与えられたルカ福音書にあるのは、洗礼者ヨハネの叫び声です。荒野で呼ばわる声です。イエス・キリストが活動し始める前に、ルカは洗礼者ヨハネの声をまずもって出してきました。これはルカがいつもそうすることですが、いつそれが起こったのかを説明しています。当時世の中はどういう時代だったのかをはっきりと書くのです。歴史的なセンスをルカはしっかり持っていたということがわかります。「皇帝ティベリウスの治世の第15年」から始まって、その頃だれがそこら辺を治めていたのかに至るまでけっこう詳しく書いています。ローマの皇帝とか、大祭司アンナスとカイアファの年代などだいたい分かっていて、だいたい紀元30年頃となります。つまりこの頃にイエスが活躍していたと割り出すことができます。
毎年クリスマスイブの夜には、いわゆるクリスマスストーリーを必ず読みますが、ルカ福音書の中のクリスマスストーリーが最もよく読まれます。有名な2章、「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」という書き出しで知られています。ルカはここでも歴史的センスを発揮して、イエス誕生がいつだったかを後代のわたしたちにも分かるように明確にしてくれています。いうなれば、2000年後の人類のことをも考えて、ルカは福音書を残してくれたわけです。実際に2000年先まで見込んでいたとは思いませんが、遠い遠い未来に思いをはせていたのでしょう。そういう意識をもってルカはこの福音書を書き、イエス・キリストの福音を未来の私たちに届けようとしたのです。私はこのことに、素直に驚きを覚えます。役所のお役人が、仕事として文書に日付を書いて保存するという話ではありません。あるいは日記のように、自分の記録としてとっておくというのとも違います。知らせるためです。伝えるためです。イエスという男のことを、遠い遠い未来の人間にも知ってもらうために、ルカはこれを書いたのです。
イエスを語るに際しては、洗礼者ヨハネのことにどうしても触れなければなりません。なぜならば、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたからです。洗礼を授かるという生涯において極めて重要な出来事で、イエスはヨハネとつながったのです。ギリシャ正教など東方教会の伝統では、このイエスの洗礼という出来事こそが、真の意味でのイエスの誕生だ、これがクリスマスだという神学的伝統があるほどです。ここで洗礼者ヨハネはイエスと結びついてくるのです。
洗礼者ヨハネはヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。それはキリスト教会で授ける洗礼とは少し違っていて、「罪の赦し」のための悔い改めの洗礼でした。そうした洗礼をしていたのはヨハネひとりではありません。エッセネ派と呼ばれるユダヤ教徒の一派があり、彼らもまた同様の洗礼を授けていました。エッセネ派は、汚れた社会から身を引き、自分たちだけで荒野の中で禁欲的に集団生活をしていました。洗礼者ヨハネは、このグループに属していたかもしれないとも言われています。このエッセネ派の生活現場がクムラン遺跡として残っており、イスラエル観光のひとつになっています。ここは死海写本として知られる、古い古い聖書の写本が出てきた近くでもあります。
ちょっと話が逸れましたが、ヨハネが授けた悔い改めの洗礼というのは、いわば沐浴のことで一人の人に何度も行われていました。ひとりの人間が身も心も清めたいと思ったら、その都度受けることができたのです。エッセネ派の遺跡を訪れると大きな浴槽がありますが、それは身を清める洗礼のために作られたのだろうと言われています。
「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った」。ヨハネに降った神の言葉は、きょうの福音書の続き7節以降に出てきます。かなり厳しい口調で書いてありますが、きょうの聖書箇所にもう一度目を向けると、そこにはイザヤ書40章の引用が出ています。これはルカが引用しました。ルカは、洗礼者ヨハネの登場をイザヤ書に書いてある預言が実現したこととして告げています。荒れ野で悔い改めを叫ぶヨハネの様子を、イザヤの預言のうちに見たのです。荒れ野というのは、所々に灌木がちょろちょろと生い茂っているような不毛の地を想像してください。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。
谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになる」
日本語でさらっと読むとそれだけで終わってしまいそうですが、この部分は世界中で広く知られて愛されています。英語がわかる人ならば、英語で読むときっと思い出すでしょう。クリスマスになると歌われるヘンデルのメサイアに出てくる一節です。美しいメロディとイザヤの預言が力強いテノールで歌われていて、私も大好きな箇所です。
1960年代にアメリカで起こった人種差別撤廃に向けての公民権運動で、指導者だったキング牧師が行った有名な説教、「I have a dream」をご存じの方も多いでしょうが、あのスピーチの中でキング牧師が引用したのがこのイザヤ書40章の言葉です。人種間の隔たりを山と谷の高低差にたとえて、それがいつか同じ高さになる、歪んだアメリカ社会を曲がった道にたとえて、いつの日かまっすぐになる。そういう夢を私は見ていると語り、アメリカ社会を大きく変える歴史的な説教として今日語り継がれています。人種問題は今でも残り続けていますが、それでも以前と比べると大きく前進してきています。イザヤの預言として現代に届いた神の言葉が、時代とともに廃れていくのではなく、現代社会にあっても大きな影響をもっていることをあらためて思わされます。
6節のひとことにまだ触れていませんでしたが、この最後の6節こそが、きょうの待降節の主日に最も心を込めて受け止める一節です。
「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」
この一言もイザヤ書の引用となっていますが、そう思ってイザヤ書40章をみると、そこにこの一節はないのです。その代わり次の一言が出てきます。「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」。「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」とはかなり意味が違っていることに気づきます。なぜこういうことが起こるかというと、ルカがこれを引用する際に利用した聖書がヘブライ語の聖書ではなく、ギリシャ語に翻訳された旧約聖書だったからです。よく七十人訳聖書といわれるものです。ルカは福音書そのものをギリシャ語で書いたわけですから、引用もギリシャ語からするのは当然でしょう。
「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」この一節は、ギリシャ語の七十人訳旧約聖書に出てきます。七十人訳聖書というのもヘブライ語から翻訳されたのですが、両方を比べてみるとところどころ違いがあったりします。そしておもしろいことに、七十人訳聖書には、今紹介したふたつの表現が両方とも書いてあるのです。七十人訳のイザヤ書40章5節には、「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」というヘブライ語本文の訳文そのものがまず出てきて、続いて「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」も出てくるのです。ですからルカは引用の際に、後半部分だけをここに書いたということになります。
ちなみに、イザヤ書にある「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」ですが、実はこの部分もヘンデルのメサイアで歌われます。さきほど紹介した前半部分はテノールの歌ですが、ここは美しい合唱です。日本語だとピンときませんが、英語でAnd the glory of the Lord shall be revealed.というと、メサイアを歌ったことのある人ならすぐ分かると思います。
主の栄光をみること、そして神の救いを見ること。このふたつの表現が七十人訳聖書にはあります。表現の違いはありますが、このふたつは体験的に同じことといえます。主の栄光に浴するというのは、神秘の光に包まれるような出来事かもしれません。それを通して、神様が共にいてくださると受け止めるに十分な啓示です。そしてそのような体験が、神の救いを仰ぎ見ることと言いあらわすのに不思議はありません。
荒れ野に退いて、ヨハネが罪の悔い改めを人々に迫りました。社会全体が腐敗や不正といった問題できっと疼いていたのでありましょう。ローマ帝国にも怯えるといった不安な時代でした。そんな時代背景から届けられた希望の光、主の栄光、神の救いを仰ぎ見るという希望が届けられたのです。洗礼者ヨハネもその人を指し示していました。ルカもそのひとり子を指し示してこの福音書を書きました。
イエス・キリストは、イザヤによって預言され、そしてルカによって歴史の中のここ!と位置づけられて、神の救いとなって現れました。私たちは皆、この救いを仰ぎ見るのです。