Q.プロテスタント教会とカトリック教会の違いは何ですか?

A.プロテスタント教会は、16世紀に当時のカトリック教会から枝分かれして誕生した教会です。日本ではプロテスタント教会を「新教」、カトリック教会を「旧教」と呼ぶことがありますが、いまは余り一般的ではありません。ルーテル教会はプロテスタント教会に属しています。

プロテスタント教会の特徴を一言でいえば、聖書の教えを基準にする教会となるでしょう。ただ、いまプロテスタント教会とカトリック教会は仲が悪いわけではありません。お互いの特徴を認め合い、尊重し合うようになりました。実際にプロテスタント教会とカトリック教会との交流の輪を広げるために、これまでのお互いの違いを指摘し合うことから、むしろお互いの共通点を確認し合う協議が重ねられています。その運動では(エキュメニカルと呼びます)、プロテスタント教会の中心的働きをルーテル教会は担っています。

具体的な違いとしては、一般的にカトリックの礼拝堂は装飾品が多いのに対して、プロテスタント教会は簡素感がありますし、カトリックの十字架にはイエス像が付いているのに対し、プロテスタントは十字架のみであることなどが挙げられます。また聖職者をそれぞれ牧師(プロテスタント)、神父(カトリック)と呼ぶことなどが違いです。

いずれにせよ、ご自分にピッタリ来る教会を選ばれることがよいでしょう。

 

Q.ルーテル教会の特徴は?

A.ルーテル教会は、宗教改革者マルチン・ルター(1483年~1546年)の教えを大切にしている教会です。それは第一に「聖書の教えを中心に置く」という教えです。その大切な聖書の教えを、毎週の礼拝を中心にして聞いていきます。

また、ドイツの代表的な作曲家であったヨハン・セバスチャン・バッハに代表されるように、音楽を大切にすることも特徴の一つです。礼拝でも音楽をたくさん用いています。でも、音楽の苦手な方も心配はいりません。決まった単純なメロディーを繰り返し用いていますから、すぐに慣れることでしょう。

そのほかに伝統を大切にする教会とも言えます。長い伝統によって継承され、洗練されたものを大事にしています。

現在、世界中に(本部はスイスのジュネーブにあります)約6000万人の会員がいます。その中心はドイツ、北欧(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)、アメリカなどですが、日本には約2万人の会員と135の教会が全国にあります。

 

Q.礼拝には誰でも参加してよいのですか?

A.礼拝はすべての人のために開放されています。ですから、初めての方を心より歓迎いたします。ただ、初めての方は最初戸惑われると思いますので、もしご希望であれば、教会員の誰かが隣に座り、ご案内申し上げますのでご安心ください。

また、「礼拝に参加したら、もう抜けられないのではないか?」という不安をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。でも、ご安心ください。教会は初めての方を強引につなぎとめることはいたしません。もちろん、引き続き礼拝に来たいと思われる方は、さらに続けて通われることをお勧めいたします。

とにかく初めての方にとっては、「教会は敷居が高い」とか「何となく入りにくいところ」、「堅苦しいところ」というイメージがおありかもしれませんが、決してそうではありません。ちょっとだけ勇気を出して覗いてみてください。

 

Q.教会では入会費やお布施がありますか?

A.そういったたぐいのものはありません。ただ、礼拝では献金があります。これは「入会費やお布施」というものではなく、強制されるものでもありませんので、それぞれが自由に献げていただければ結構です。もし献金に抵抗のある方は、献げていただかなくても問題はありません。

教会では献金を、神様への感謝の献げものと考えています。私たちが持っている財産、お金、健康、命までも神様から与えられたものと聖書は教えています。そのことに感謝するために、持っているものの一部を神様にお返ししましょう。

 

Q.「宗教は怖い」というイメージがあるのですが?

A.日本の国では、特定のいかがわしい宗教団体が殺人事件や詐欺事件を起こすことがしばしば報道されています。あるいは、世界中の戦争や紛争の背景に宗教が絡んでいることが指摘されることがあります。このようなことが影響して、日本人の中では「宗教は怖い」というイメージが根強いことは事実だと思います。

でも、聖書の教え、特にイエス・キリストの教えに耳を傾けるときに、もっとも大切な教えは「愛」であることに気づかされます。「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」と言われたイエスの教えとその生き方が、聖書のもっとも重要な教えであると言えるのです。この聖書の教えから逸脱した宗教であれば、それはむしろ距離をおいた方がよいでしょう。

私たちのこの社会はいま、まことの愛が失われ、まことの喜びと希望がますます乏しくなっているのではないでしょうか? そのような私たちに、聖書はとても大切なことに気づかせ、そして新しく生きる道を示してくれるに違いありません。「怖い宗教」ではなく、「愛と希望に満ちた宗教」を教会は目指しています。