伝統あるプロテスタント・キリスト教会です

luther
キリスト教会には、大きく分けて、ローマ・カトリック教会とプロテスタント諸教会があります。ルーテル教会は、プロテスタント教会に属します。 マルティン・ルターという人の名前、また宗教改革という言葉をお聞きになったことがおありかと思います。彼は16世紀の始めに、当時の教会が正しい福音信仰に立ち戻ることを聖書に基づいて訴えました。その基本は「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という宗教改革のいわゆる三大原理です。お金とか見せかけの努力ではなく、神様の恵み、イエス・キリストの十字架と復活によってのみ、人は救われるというものでした。その声は、ドイツをはじめ全ヨーロッパに伝わりました。しかし当時のローマ・カトリック教会の大勢はこれを斥け、 「ルターの仲間」と呼ばれ始めたこのグループは、「ルーテル教会」と呼ばれるようになったのです。 その後、この宗教改革運動に続いて各地で新しいグループが生まれ、多くのプロテスタント教会が出来ていったのです。特にドイツから北欧にかけて広がり、その後それらの国の人々が新大陸発見とともにアメリカに移住し、アメリカ各地に自分たちのルーテル教会を形成していきました。

 

世界に広がるキリスト教会です

ルーテル教会は、ドイツから北欧、アメリカへと広がり、そこからアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、全世界に広がり、現在、約7000万人(ヨーロッパ5100万、アメリカ900万、アフリカ400万、アジア340万など)の人々が会員が世界のルーテル教会に繋がっています。そのうちの5500万人が集まってルーテル世界連盟を組織して、研究をしたり教会間の協力をしたり、また難民救済など世界への奉仕をしています。

 

バッハの教会です

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は、ルーテル教会が生んだ偉大な音楽家です。ルターは、会衆の歌える賛美歌(コラール)を次々に作りました。バッハは、その伝統の中でその会衆讃美歌を生かし、彼の教会音楽の中心に据えたのです。ルターの作詞作曲したコラール「深く悩みの渕より」を元にバッハが作曲した教会カンタータ第38番「深き悩みの渕より、我汝を呼ぶ」は有名です。

 

日本のルーテル教会

1893年のイースターに九州の佐賀でアメリカからの2人の宣教師によって初めての礼拝が行われました。日本のルーテル教会はここに始まります。やがて宣教師たちを日本人が助けるようになり、日本福音ルーテル教会という形で、次第に独立した教会となっていきました。1909年に牧師養成のための神学校を設立し、以来、幼稚園・中学・高校・大学などの教育分野で、また社会福祉の働きでも多くの点で開拓者的な働きを示してきました。 1941年、時の政府の圧力で日本のプロテスタント教会が合同することとなり、日本キリスト教団に参加しましたが、戦後、1947年に教団を離脱し、日本福音ルーテル教会として再出発しました。戦後の宣教を開始したその他のルーテル諸派と合同し、1963年に新しい日本福音ルーテル教会を組織して現在に至っています。 北海道から九州まで、全国に132の教会と、学校、幼稚園、老人ホームなどの施設をもってキリストの福音を証ししています。また、大学に社会福祉学科を持ち、社会での奉仕者を数多く送り出しています。

 

私たちの信仰告白

初代教会の「イエスは主である」という告白以来、教会は信仰告白をいつも新たに繰り返してきました。それは神の前における信仰告白であるとともに、人の前での信仰表明でありました。異教社会の中で何世紀にもかかって、いわば自然発生的にかたちづくられていった「使徒信条」、4世紀の教会が直面した異端との対決の中で、正当信仰的立場を明らかにした「ニケア信条」、また5世紀の教会が表明した「アタナシウス信条」をもちいて私たちの信仰を告白しています。さらにルーテル教会独自のものとして、ルターによる「神の言葉にとらえられた良心」の決断にもとづく信仰表明に共鳴した諸侯・諸都市が1530年アウグスブルグ国会に提出した「アウグスブルク信仰告白」、ルターがわが子に対する信仰表明として書いた「小教理問答書」、牧師のための信仰の主要条項解説として書いた「大教理問答書」、開催されるはずだった公会議のために書いた「シュマルカルデン条項」があり、ルーテル教会の信仰の核心を示しています。