説教「信仰の細密画」
ヨハネ16:12~15
三位一体主日(2016年5月22日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹
5月ゴールデンウィークの最中に日本福音ルーテル教会の全国総会がありまし
た。2年に一度開催され、約200名の牧師と各教会代表者が集いました。会議
では、熊本地震が大きな意味をもちました。現地からの報告を聞き、被害を受け
た地域を覚えて祈り、どんな支援ができるかを教会全体で考える機会となりまし
た。こうしたことは、全国とのつながりがあるからこそできます。そういう意味
で、イエスから学んだ教えをみんなで共に実行することができる機会となりまし
た。
一方で会議というのは議論をする場でもあります。同じ信仰をもつ者たちの集
まりといっても、それぞれいろんな考え方があるので、宣教方策をどう実行する
のかといったテーマになると、当然のこと喧々がくがくが起こります。時に興奮
して激しい主張をする人も現れたりします。今回もそういう場面がありました。
あるいは、提案された案件が、ちゃんと承認されて可決されるのかどうかわから
なくなる場合がありました。そうすると、会場全体に緊張が走るのです。それが
会議というものです。
会議はそれでもやらなければなりません。違う考え方をもったひとりひとりが、
同じ方向を向いて生きていくために、そして働くためには、どんな団体であって
も会議をやらなければならないのです。会議で話しあってみんなで理解しあって、
人間は前進し社会をつくり文明を築き上げてきました。
キリスト教の歴史をみても、それはそのままあてはまります。始まりはイエス
の教えでした。その教えを受けた弟子たちが、イエスの復活と昇天のあと、自分
たちで福音を伝えていきます。教えはだんだんと広がり、やがて大きな群れとな
っていきます。そこまでいくには時間もかかりましたが、そこで彼らが必ずやっ
たことといえば、話し合いです。会議です。だれがどこへ出かけていって伝える
のか、どういう方法で伝えるのかといったことがらを、みんなで話しあって決め
たから、イエスの教えが各地に広まっていったのです。そのようにして教会が生
まれました。それがどのようにして広がっていったのかをみるためには、教会の
歴史を紐解くことになります。さらにもっと深く知るには、歴史神学という神学
を研究しなければなりません。
きょうの主日には、三位一体主日という名前がついています。三位一体という
言葉は、もとより神学用語。聖書に書かれているイエスの出来事を表した言葉で
はありません。神学用語が主日の名前についているというのは、考えてみればち
ょっと興味深いことです。聖霊降臨後に続く主日礼拝のことを、今は「聖霊降臨
後第○主日」というふうに言っていますが、かつてはそうではなかったのです。
「三位一体後第○主日」と言っていました。三位一体後主日がクリスマスまでず
っとそれが続いたのです。イースターはイエスが復活したことを祝う礼拝、ペン
テコステは聖霊の注ぎを覚える礼拝だということでわかりやすいですが、三位一
体はそうした聖書の中の出来事を指してはいません。これは神学思想です。問題
は、なぜ主日の名前となるほどに教会はこれを大切にしてきたのかです。三位一
体主日のテキストは、ヨハネ福音書16章12節からの3節、たった3節ですが、
この中にその答えがあります。つまり三位一体のヒントがあります。
さきほども言ったように三位一体というのは神学用語です。三位一体は、イエ
スの出来事でもない、イエスが語ったみことばでもない。そういう意味でも極め
て非日常的な言葉なのです。生活感のない言葉です。そもそも神学という学問が、
およそこの世の出来事からかけ離れた世界について考える学問であります。いつ
だったか安倍首相が国会での野党との議論で、「そういう神学論争はやめましょ
う」と発言したことを思い出すのです。どういう意味かわかると思いますが、
「こたえのない無意味な議論はやめましょう」ということです。それほど日常か
らかけ離れた三位一体という神学用語なのですが、それにもかかわらずこれほど
社会に根付いた神学用語はありません。その神学思想は知らなくても、この言葉
は多くの人が知っているのです。いつの時代の内閣だったか忘れましたが、かつ
て政府は自らの政策のことを「三位一体改革」と名付けていました。この神学用
語は、やっても無駄と思われるわりには、それほどまでに親しまれているという
実に不思議な言葉なのです。
みっつにしてひとつ、それが三位一体です。父なる神、子なる神イエス・キリ
スト、そして聖霊なる神、このみっつは異なった名前と顔をもっているけれど、
実は同じひとつなのだという教えをひとことでまとめたのが、三位一体です。先
週の日曜日、聖霊降臨祭をお祝いしました。父なる神と子なる神イエス、そして
聖霊。この三者はそれぞれ別の名前をもち、働きや顕れ方も違っています。けれ
ども聖書を読んでイエスの言葉を注意深く解釈していくと、どうもこのみっつは
つながっているのです。別々ではないように思えるのです。
たった3節のきょうのみことばはイエスのみことばですが、正直言ってなんと
もよくわかりません。「その方(真理の霊)は、自分から語るのではなく、聞い
たことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げる」。「父が持っ
ておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方が
わたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言った」。さらっと読んだだけ
ではよくわからないのです。ただ、よくはわからないけれど、父とイエスと真理
の霊がつながっているということはなんとなく理解できます。三位一体を窺わせ
る表現だといえます。三位一体という考え方を取り入れることで納得できる箇所
は、聖書の中には他にもたくさんあります。
正統なキリスト教会は、すべて三位一体という考え方を受け入れています。カ
トリック教会もプロテスタントも、そして東方教会も受け入れています。正統な
キリスト教会をひとつにつなぐ最も根本的な教えと言ってもいいのです。西と東
の教会をひとつにする教えというだけでも、これがいかに画期的かがわかります。
三位一体は、教会の歴史の中から生まれました。4世紀ごろにまとまっていき
ました。どこでまとまっていったかというと、会議なのです。教会のリーダーた
ちや研究者たちが集まって決めたのです。つまり全国総会のような会議を開いて、
そこで意見調整してまとまった教え、それが三位一体なのです。325年、今の
トルコにあったニケアという町で世界初の国際レベルの教会会議が開かれて、そ
こで決められたのです。1700年も前の会議です。別の言い方をすると、これ
はイエス・キリストの言葉ではありません。人間が話しあって決めたのです。人
間の決めごとなのです。会議ですから、そこではどうやらたいへんなやりとりが
あったようです。会議ですから、無駄話もあり、ヤジも飛び、居眠りもあったで
しょう。それが人間がする会議です。そしてこれも当然なのですが、三位一体に
反対する教えは徹底的に退けられました。
私たちが礼拝の中で今でも唱えるニケア信条は、こうして出来上がりました。
325年の会議のあと、56年後にもう一回別のところで会議をして、ほぼ今の
形になりました。この信条は、三位一体を見事に言い表した信条です。きょうの
イエスの言葉ではあまりよくわからなかった父と子と聖霊のことを、ニケア信条
はきれいにまとまてくれています。ある神学者はニケア信条のことを、「初代教
会の思索と祈りを凝縮した、すばらしい信仰の細密画」だと言いました。ほんと
うにそうだと思います。
それ以来、キリスト教会は1700年間、ずっとこの信仰告白を唱え続けてき
たのです。この細密画があったからこそ、そうすることができたのです。これが
あったから、キリスト教信仰は今日まで正しく伝えられたということができます。
西の教会と東の教会、そしてローマカトリック教会とプロテスタント教会、さ
らにいくつかの教派があって、教会がそれぞれに特徴をもっています。西と東の
教会では、ニケア信条に関して、実はひとつの点だけ一致しないことがあります。
それが原因で教会が西と東に別れたと言われるほどの違いです。また、これは日
本だけの事情ですが、ある教会は聖霊を強調して、聖霊様という言い方をします。
聞き慣れないかもしれませんが、決して異端ではありません。三位一体なのです
から、神様がいて、イエスさまがいて、もうおひとり聖霊様と呼んでなんらおか
しくありません。要は慣れの問題でしょう。
このように細かいことを言い出すと収拾がつかなくなります。神様と言っても
いいのです。イエスさまに向かって祈っていいのです。聖霊様にお願いしてもい
いのです。主語はどれでもいいのです。みな同じ神です。
キリスト教信仰は、真空状態の中をくぐってきたのではありません。人間が会
議を通してそれを考え、争い、まとめるという、途方もなく時間のかかる作業を
延々と繰り返しながら形をとり、今日、私たちにも理解できるように伝えられた
のです。
三位一体。この教え、この言葉が誕生し与えられたことに、神様の大きな導き
と恵みを受けとることができるのです。