説教「マリアが歌う喜びの歌」
ルカ1:46~55
待降節第4主日(2016年12月18日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹

 マリアは天使ガブリエルから受胎を知らされました。受胎告知として知られています。受胎告知をモチーフとした絵画は、キリスト教美術の歴史とともに数多く描かれています。そのなかで最も注目すべきところは、なんといってもマリアの表情でしょう。天使ガブリエルのお告げを、マリアがどういう気持ちで聞いたのか、文字と言葉ではなくて、色と形で表現しています。受胎告知の絵画を年代に沿ってひとつひとつみていくと、マリアの表情は実に多彩なことに気づきます。多彩だけれども、どの絵にも共通して描かれているのは、マリアの戸惑いあるいは恐れです。マリアはうつむいています。「ちょっと困るんですけど」。そんな言葉が飛び出してきそうなくらいに、天使をにらみつけている絵もあります。多くは中世の時代の作品ですが、ひとつ近代のものを見つけました。ロセッティという19世紀の画家が描いた作品ですが、描かれているのは何の飾りもない、薄汚れた小さな部屋。マリアはベッドにいます。壁にもたれかかって、天使の声を聞いています。けれども天使のほうを全然見ていません。うつろな目で、天使が差し出す一輪のユリの花をぼーっと眺めています。恐れ、驚き、茫然自失。受胎告知は、マリアにとって実にショッキングな出来事だったのです。なんといっても受胎告知は、マリアのその後の人生をがらっと変えてしまったのです。

 マリアは受胎告知のあと、不安な心を引きずりながら、失意のうちにエリザベトを訪ねてエルサレム地方へ旅をします。エリザベトは、マリアの叔母にあたるとみていいと思います。受胎告知ほど数はありませんが、マリアのエリザベト訪問も美術作品になっています。その中の一枚、15世紀のバウツという人が描いた絵がプラド美術館にあります。それをみるとやはりマリアは伏し目がち、それを年老いたエリザベトが一生懸命宥めています。

 このエルサレムで過ごしたエリザベトとのひとときが、マリアにとってどれほど大きな慰めになったことでしょうか。彼女のところに来たとき、最初顔を上げられなかったマリアでした。これからどう生きていったらよいのか、考えることすらできなかったマリアだったのです。そのマリアが賛歌を歌うのです。神さまを褒め讃える歌を高らかに歌ったのです。それがきょうの福音書のみことば、マリアの賛歌です。

 これはマリアの喜びの歌です。茫然自失から、再び生きる元気と勇気を取り戻すことができた、その喜びを言葉にした歌です。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」。マリアはこのように主である神、マリアの救い主である神をたたえています。受胎告知でお告げを突如聞いたとき、マリアはひょっとして、神さまを恨んだかもしれません。ヨセフの許嫁となっていよいよ結婚間近、たくさんの祝福を受けるべき人生のクライマックスで起こった、天使ガブリエルのお告げ。「あなたは聖霊によって身ごもって、まもなく男の子を産む。イエスと名付けなさい」。身に覚えのない妊娠によって、マリアの人生のクライマックスが台無しになったのです。天使をにらみ返すマリアがいても、おかしくありません。けれどもそんなマリアは、もうここにはいません。

 マリアは、ただ叔母のエリザベトを訪ねて、そこにしばらく滞在しただけです。ふたりでしばらくゆっくり過ごす、そこで他愛もないおしゃべりをする。食事をする。お茶を飲む。おやつをほおばる。会話の端々で悩みを打ち明け、自分の気持ちを聞いてもらう。こういう時間の過ごし方は、現代にも通じます。未来永劫、人間が人間である限り、なくならないでしょう。同時になくしてはならない時の過ごし方です。心を許せる人としばし過ごす、そこで何気ない会話を交わす。これが癒しを興すのです。

 現代人は、マリアと比べるとそうした気持ちの切り替えは、ちょっと苦手かもしれません。ゆっくりとのんびり過ごすことが難しくなっているからです。先のことばかり考えてしまうからです。今の症状を改善するにはもっといい方法はないだろうかと、一生懸命グーグルで検索して、それに時間を費やしてばかりいるからです。そして結局は薬などに頼ってしまうからです。こういうライフスタイルは、神なき時代の人々の姿そのものです。

 フィレンツェのウフィツィ美術館にある14世紀の画家マルティーニが描いた受胎告知では、マリアは天使をにらみ返しています。「私の人生を台無しにしてくれたわね、覚えてらっしゃい」。ほんと、そんな表情をしています。ぜひ一度見て欲しいと思います。怒りの矛先を神に向けたのです。

 けれどもマリアにとっては、私たちが今当たり前にしているものは、何もないのです。薬もなければ本もありません。インターネットももちろんありません。あるのはただごはんとお茶、それにおやつ。そしていっしょに飲み食いしながら、べらべらおしゃべりする仲間、家族、友人、それだけです。けれどもエリザベトと分かち合った、こういったひとときこそが、マリアを癒したのです。

 一方、マリアにあって現代人にないものは何でしょう。それは神さま。神さまを信じる心です。天使をにらみ返すほど激しい怒りをもったのも、結局は神さまに対してだったのですが、再び生きる力を得て喜びを表し感謝をささげたのも、神さまに対してでした。マリアの賛歌からわたしたちが教えられるのは、そのことです。喜びも悲しみも怒りも、神さまに向けたのです。

 悩みを打ち明けられる友人や家族とのひととき、そしてそこに用意されたお茶菓子。本当に大切で、そこからまた元気になれるきっかけをいただくのですが、マリアのように、他に何もないなかで、ただ神さまに心を素直に向けるという、素朴で素直な信仰。それを、今日の私たちは失いかけているのではないか。腹立たしいこともあるでしょうけれど、神さまに心の中を洗いざらい打ち明けて、最後は喜びを歌い、感謝しながら生きていく。そういう生き方をマリアから教えられます。神さまを喜び、神さまに感謝し、賛美できることの素晴らしさを、今日、マリアの賛歌から受けとりましょう。