説教「イエスを伝えた復活」
ヨハネ21:1~14
ヨハネの手紙一1:1~2:2
使徒言行録4:5~12
復活後第2主日(2018年4月15日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹

 どことなくのどかな風景が目に映ります。ティベリアス湖畔にたたずむのはペトロやトマス、すわなちイエスの弟子たちです。他にも何人かいました。それまで彼らはなにをしていたのでしょうか。このお話から勝手な想像を膨らませるなら、「俺たちこれからどうしようか」、そんな話をしていたような気がします。

 1節「その後」とは、その前の20章の部分に書いてある出来事をさしますが、それはイエスが復活した後ということ。さらに言うなら、彼らが復活したイエスと出会ってから後ということです。そう、彼らはもうすでに復活のイエスと出会っているのです。

 20章によると最初は週の初めの日の夕方でした。それは復活が起こったまさにその日です。マグダラのマリアが「私は主をみました」と報告にきたその日の夕方でした。マグダラのマリアが復活の主と出会ったのは早朝でしたからすぐその後ではないですが、その日の夕方に、弟子たちはもうすでに復活のイエスとの出会いがありました。

 20章の記事は、さらにもうひとつの出会いについて書いています。それから8日の後のこと、今度はイエスはトマスの前に現れたのです。そして疑うトマスに「正真正銘私だよ」と、手と脇腹の傷をみせたのです。復活して1週間の間に二度、イエスは弟子たちの前に姿を表したことになります。

 この二度の出会いは、いずれもエルサレムでのことでした。イエスが十字架で処刑された場所エルサレム。十字架で処刑されたとき、弟子たちはその現場から立ち去っていってしまいましたが、まだエルサレムに滞在していたのでした。エルサレムからほど遠くないベタニアあたりでしょうか、自分たちの隠れ家、アジトでしばらくはじっと身を潜めていたのです。

 そして今日のテキストに出て来る場面が三度目となります。「その後」というのがどのぐらい後のことなのかわかりませんが、ヒントになるのはティベリアス湖という湖です。これはガリラヤ湖の別名です。彼らは地元ガリラヤに帰ってきていたのです。しばらくはエルサレムにいた弟子たちでしたが、いつまでもそこにいるわけにもいかなくなったとみえて、地元に帰ってきたのです。従ってこの「その後」というのは、さらにそれから数日経過して、というぐらいに考えられます。地元ガリラヤでも、弟子たちは復活のイエスと三度目の対面をしたのです。

 ここのテキストを読んでいて、私に思い浮かぶ弟子たちの様子というのは、やはりさきほどの一言です。「俺たちこれからどうしようか」。そのことで彼らは集まり、話しあっていたのではないでしょうか。夜遅く、たき火を囲んで湖畔にたたずむ男たちの心には、まだ復活したイエスが居座っています。あのときの衝撃は依然として強烈に響いていたのです。地元に帰って、元の生活を始めようとしていた彼らだったのですが、その強烈な衝撃ゆえに今ひとつ頭を切り替えることができなかったのです。心の中では他の声も聞こえてきます。ガリラヤ湖で漁師をするという元通りの生活に戻ってもいいけれど、だとしたらイエスとの出会いはいったい何だったのか。短い期間ではあったけれど、イエスから聞いた神の国のこと、「魚ではなく人間をとる漁師になりなさい」と、イエスから福音宣教を託されたこと、それらを放り投げてしまっていいのだろうか。放り投げるのは網のほうではないのか・・・。身を守るためにとっさに十字架から逃げ出して、だらしない己をさらけ出してしまったことの悔いもあったことでしょう。そしてなんと言ってもイエスは復活したのです。復活して目の前に現れたのです。この事実を自分たちだけの経験の中にしまい込んでよいはずがありません。これを世の人々に伝えなければ・・・。こんなところでたき火にあたっている場合ではない・・・。こんな会話が聞こえてきます。

 それでもなかなか答えを出せず、そんな思いを彼らはお互いに吐き出し合っていたのです。言葉は弱々しいです。どちらかといえば、もっぱら沈黙が彼らを支配していたでしょう。沈黙を破ってペトロがぽつりと言います。「私は漁に行く」。うなだれてこんなところでおしゃべりしてるぐらいなら、やれることをやろうではないか、というわけでまず動いたのはペトロでした。実に彼らしいです。

 そして今回も、ペトロのとっさの行動を神様は見逃しませんでした。それが復活したイエスとの三度目の出会いとなります。ここに書かれていることがそのまま史実だったかどうかはわかりません。実際にはそっくりそのままと考えないほうがいいでしょう。けれどもここに出て来る復活の主イエスとの出会いが、湖畔で煮え切らずに悶々としていた彼らを激しく突き動かしたことは確かでした。

 その時弟子たちは、イエスと一緒に食事しました。イエスがパンをとる、そして彼らに分け与える。彼らはパンを食べる。魚を食べる・・・。あの時のことがまざまざとよみがえってきました。過越の食事で、イエスとテーブルを囲んだ最後の晩餐です。その瞬間が、今再びここで起きているのです。「これは私のからだである。私の記念としてこれを行いなさい」。その時弟子たちは、それが誰かを問いただすことは敢えてしなかったと、聖書は書いています。イエスと共に食べるパン、イエスと共に飲むぶどう酒。そこに主イエス・キリストが共におられます。この出会い、この体験を伝えなければ。自分たちはイエスを見捨てた。けれどもイエスは、こうして私たちと共にいてくださる。この喜びを告げ広めなければ。

 彼らは網を捨てたのでした。そしてイエスが言ったように、人間をとる漁師となることを決意し、エルサレムへ戻っていきます。今日の使徒言行録を見てみましょう。そこにあるのは、まったく姿を変えた新しいペトロです。まさしく人間を漁っているペトロです。今、ペトロをはじめ弟子たちは、エルサレムで取り押さえられて牢に入れられています。そして議員、長老、律法学者がそこにいます。「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問されています。そして8節からはペトロの証しが書いてあります。「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」。なんとも力強いペトロの言葉をここで聞くことができます。ティベリアス湖畔で途方に暮れていたペトロ達ではもはやありません。恐れて逃げ隠れするペトロでもありません。イエスを伝えなければという熱意にあふれるペトロであり、ユダヤ教の権力者たちの前で堂々と述べるペトロです。

 復活のイエスとの出会いが、ペトロ達をかくも大胆に変えたのです。復活という出来事の桁外れの衝撃を思うと、この変化は十分にあり得ることです。自分たちはイエスを見捨てました。けれどもイエスは私たちを見捨てませんでした。イエスが共にいます。復活して、私たちのいるところに今もいてくださいます。使徒言行録ではそのことを「聖霊に満たされて」という言葉で表現しています。

 もしも彼らがあの後ガリラヤ地方に引きこもっていたら・・・。そのまま再び漁師生活に戻って日常生活を送っていたら、復活を彼らだけの身内の思い出話にしてしまっていたら、きっとなにも起こらなかったでしょう。キリスト教は誕生していなかったでしょう。いったんはそうなりかかっていたのですが、そのまま立ち消えにはさせなかったのが、イエスの復活だったのです。復活が彼らを立ち直らせ、立ち上がらせ、よき知らせの宣べ伝えへと駆り立てたのです。

 神の愛が私たちに注がれている、主イエスが今も生きておられる、そして聖霊が私たちを満たしてくれる。これが私たちに伝えられた福音です。この福音を伝える原動力、それを興す爆発的なエネルギー、それが復活にあったのです。