説教「三人の宗教改革者」
ヨハネ2:13~22
ガラテヤ5:1~6
列王記下22:8~20
宗教改革主日(2018年10月28日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹

 1517年10月31日、マルティン・ルターがヴィッテンベルクの城教会に九十五箇条の提題を掲げました。宗教改革はそこからはじまったというわけで、この日が宗教改革記念日となり、ルーテル教会ではそれに因んで10月の最後の日曜日礼拝を宗教改革主日としています。

 ルターが実際に城教会の扉にこの提題を掲げたという話は伝わっていますが、扉にはり付けたというはっきりした証拠は見つかっていないそうです。ただ、ルターがマインツの大司教に宛てて書いた手紙があって、その中に九十五箇条の提題が同封されていました。その手紙の日付が1517年10月31日でした。歴史というのは時代とともに研究が進むといろいろと見直しがされるようです。

 歴史が変わる
 本格的に歴史について学び始めるのは、中学から高校にかけてです。日本史と世界史の教科書が手渡され、縄文時代、弥生時代、飛鳥といった単語と初めてお目にかかります。ですから多くの人にとって、歴史は教科書の中で展開されていきます。学校の教科書が歴史そのものになっていきます。少なくとも私自身の体験からいいますと、日本の歴史も世界の歴史もすべて学校の教科書に書いてあるとおりに進んだと思ってきました。何度も何度も試験をやって覚えさせられ、教科書に書いてあることが正しい、そう学び、そう思い込んできました。

 ところが教科書の中の歴史が、今大きく修正されようとしているようです。たとえば聖徳太子。その名前が教科書から消えるかもしれないそうです。もうひとつ、江戸時代の社会制度を表す言葉として士農工商という用語を覚えさせられましたが、これは今の教科書から消えたそうです。江戸時代にそういう序列は実際には存在しなかったというのが理由だそうです。一生懸命覚えた歴史が間違いだったなんて言われると、あんぐりと口を開けてあきれるしかないのですが、考古学や文献学の研究が進んだことで、歴史上の人物の評価や年代といった細かな部分が修正されていくという作業は、これからも続くのでしょう。

 けれども大きな歴史のうねりは変わりません。うねりとは、歴史のなかで度々繰り返される改革のことです。16世紀にヨーロッパで起きた宗教改革は、修正されることのない歴史上の大きなうねりです。そういう意味で歴史というのは、時代の流れを大きく捉えることのほうが重要で、年号とか名前とかを必死になって覚えるのは試験問題と教養を身につけるのに役立つ程度なのかもしれません。 それでは、聖書の言葉から宗教改革を振り返り、そこから今日のみことばを聞いていきましょう。宗教改革主日のために選ばれた今日の三つの聖書箇所は、宗教改革となんらかの関わりがあるから選ばれています。列王記下の記事は、ここに名前は出てきませんが、ここで王というのは南ユダのヨシア王のことです。そしてガラテヤの信徒への手紙を書いたのはパウロです。私はこの二人、ヨシア王とパウロも宗教改革者と呼びたいと思います。ルターと合わせて三人の宗教改革者と言いたいと思います。

 ヨシア改革
 紀元前7世紀、当時はアッシリア帝国の影響が強く、南ユダ王国でもいろんな神々が礼拝されていました。統一がとれていませんでした。そうしたなか、ヨシア王の時代にエルサレム神殿の改築工事が行われました。そういう時には大がかりな片付けを行うのが常ですが、ある時ひとつの巻物が見つかりました。旧約聖書の申命記だったと言われています。それを読んだヨシア王は、イスラエルはイスラエルの神だけを礼拝するようにと書いてあることに気づかされます。ヨシア王は異教の礼拝所を廃止し、エルサレムの神殿のみを神殿としました。ヨシアの宗教改革と言われています。ヨシア王は礼拝すべき神を主なる神のみに統一することで、イスラエルの民を統治しました。

 宗教改革者パウロ
 パウロを宗教改革者と呼ぶのには、すこし勇気が要ります。あまり聞いたことがないかもしれません。パウロは熱心なファリサイ派のユダヤ教徒でした。彼は復活のキリストとの出会いという回心の出来事を通してイエス・キリストを宣教するようになったのですが、彼自身は、自分がキリスト教を興そうなどという意図があったわけではありません。パウロの中ではそれはずっとユダヤ教だったのです。ユダヤ教という宗教の中でイエス・キリストの救いを宣べ伝えたのです。イエス・キリストを伝えることで、救いがユダヤ人だけのものでなく、すべての国民へと広がっていきました。救いは律法の行いではなく、ただイエス・キリストを信じることで授かることができるのだと説いたのです。それはまったく新しいユダヤ教でした。そういう意味でパウロはユダヤ教の宗教改革を興したのです。やがてそれがキリスト教となっていきます。それをよく表したみことばが、きょうのガラテヤ書5章1節です。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」。

 イエス 
 今日の福音書では、神殿で商売をする人たちにイエスが腹を立て、思わずテーブルをひっくり返してしまいます。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」。神の宮である神殿で商売をしている人たちを見て、イエスが嘆いたのです。

 ヨシア王の時代にはよその国の文化と宗教が入り交じり、人々がいろんな神々を礼拝するようになったのをよしとせず、エルサレム神殿だけが正式な神殿と認められました。ユダヤ教をここに集中させたわけです。この改革によって、確かにそれまで乱れていたユダヤ教がいったん収まりました。けれども今日のイエスの怒りを見て思うのは、たしかに神殿中心にしてユダヤ教は安定したのかもしれませんが、人々が神に向ける祈りをユダヤ教は正しく受け止めるようになったのだろうかということです。宗教をコントロールする祭司や役人からすればそれでよかったのかもしれません。けれども宗教のあり方としてよかったかどうかは別問題です。人々の心が神様から離れてしまっていたのです。ユダヤ教が人々の祈りを受け止められなかったのです。イエスの怒りはそのことを物語っています。結局ヨシア王の宗教改革というのは、政治が宗教を利用したのではないかという気もしてきます。つまりイエスの怒りは、決して商売人たちのお金儲けだけが原因ではないということなのです。ファリサイ派や律法学者を批判したことを思うと、イエスの怒りは当時のユダヤ教の体制と権力、さらには神学に対しても向けられていたのです。

 ヨシア王、パウロ、そしてイエス、三人を通して三つの聖書箇所を見てきました。マルティン・ルターの宗教改革も合わせてみたとき、ひとつのことを導き出すことができます。それは改革は続くということです。プロテスタント教会のあり方を示すラテン語を紹介したいと思います。「Ecclesia semper reformanda」これはルターの言葉ではなく、改革派神学者カール・バルトの言葉ですが、教会が絶えず改革し続けるということ。これがプロテスタント教会のモットーであります。

 なぜ改革しなければならないか。それは歴史が物語るとおりで、改革しても改革しても人間はまた過ちを犯し続けるからです。私たち人間の罪ゆえです。やれやれと思ったら、人間はまた何かやらかすからです。人間は賢くみえて実はとても愚かなのです。

 今日の説教では、イエスも一人の人間として、一人の宗教改革者として、ヨシア王、パウロ、ルターたちといっしょに並べてお話してきました。歴史の教科書だったらそのように扱ってかまわないでしょう。けれどもここから神の言葉を聞こうとするのなら、そういうことにはなりません。

 人間が繰り返し繰り返し犯し続ける罪。より良い方法で神様を伝え、より望ましいやり方で神様を礼拝する。ひとえにその思いを貫いて改革は行われてきたのです。それは必要なことでした。これからもそうです。だがしかし、それでも必ずどこかに破れがあり、罪が顔を出すのです。

 イエスは単なる宗教改革者ではありませんでした。ユダヤ教の権力者を批判して終わりではありません。神殿を三日で建て直して見せると豪語して終わりではありません。イエスは、人間が繰り返す罪を赦すということを成し遂げたのです。十字架によってそれが成し遂げられたのです。パウロもルターも誰よりも力強く、誰よりも説得力をもって、イエスの十字架を説いたのです。

 今日のガラテヤ書でパウロは言いました、「キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」。そしてルターは著書「キリスト者の自由」の冒頭で、同じことをこう言いました。「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する」。二人とも罪の赦しを「自由」という言葉で表現したのです。それはイエス・キリストの十字架によってもたらされたのです。