説教「捨てられた隅の親石」
マタイ21:33~46
聖霊降臨後第18主日(2020年10月4日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹
「もうひとつのたとえ話を聞きなさい」というイエスの言葉できょうの福音書は始まっています。先週に続き、ぶどう園が舞台のたとえ話となっています。
そこでまず先週聞いた福音書を振り返ってみると、祭司長や長老といったユダヤ教の権力者たちに向かって、彼らの権威にイエスが真っ向から反論します。そして権威ではなく、神の前に悔い改めることこそ大切なのだと言い返すのです。そのなかでぶどう園で働く二人の兄弟のたとえ話を持ち出しました。ひとりは最初働かないと言って、あとから働く。もうひとりは最初働くといっておきながら、実際には働かなかった。いわば口先だけだったわけです。その口先だけだった人こそ、権威を振りかざすあなたたちだと、イエスは言ってしまうのです。そしてきょうの「もうひとつのたとえ話を聞きなさい」となります。
ですから、きょうのたとえ話も相手は同じです。45節にもあるように、祭司長やファリサイ派という権力者たちです。彼らを面と向かって批判するためのたとえ話なのです。今や両者の関係は、最悪になっているのがわかります。エルサレムにやって来るなり、イエスは神殿の中で商売をしている人のテーブルをひっくり返し怒りをぶつけました。さらには権力者にたてつく。エルサレムでのイエスの活動と言葉は、とても過激になっていきました。そうした中で、このぶどう園のたとえです。
ぶどう園のたとえ話を聞きながら、そこに居あわせた祭司長たちは、旧約聖書のあのお話を思い浮かべたことでしょう。あのお話というのは、きょうの旧約聖書イザヤ書5章です。「わたしは歌おう、わたしの愛する者のためにそのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り良いぶどうが実るのを待った」。イエスはこの部分を利用して、自分のたとえを話します、「ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た」。イエスが、イザヤ書5章を意識的に引用してストーリーを組み立てたことは明らかです。
イザヤ書ではそのあとこうなります、「しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった」。そして後半になると裁きの言葉が出てきます、「さあ、お前たちに告げよう、わたしがこのぶどう畑をどうするか。囲いを取り払い、焼かれるにまかせ、石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ、わたしはこれを見捨てる」。イスラエルの民に対するイザヤの厳しい預言です。ユダヤの民は神の民であるはず。なのに神様に背いてしまったという嘆きが、預言者イザヤの言葉です。権威ある彼らがこれを知らないはずがありません。聖書の権威であるファリサイ派、神殿の権威祭司長たちはこのみことばを思い出しながら、イエスの話を苦々しく聞いたことでしょう。イエスが自分たちに当てつけてこれを話していることは見え見えです。
権威ある人に向かって面と向かって非難するというのは、なかなかできないことです。そういうことをすれば命を狙われるというのは、決して過去のことではありません。今でも世界各地で起きています。最近でもロシア、あるいは北朝鮮でそんな話を聞くわけですが、私たちがニュースメディアで見聞きするのは、ごく一部なのかもしれません。
このように見ていくと、イエスは権威に立ち向かう反体制派だったと言ってもよいと思います。社会運動の活動家、そのリーダーのように見えてきます。実際そのように過激だったから、十字架刑という運命を担うことになったわけです。おとなしい人だったら、権力者に睨まれることもなかったでしょう。権力者に睨まれてしまうと、ことは宗教だけの話にとどまらず、問題は政治色を帯びていきます。当時のユダヤ社会にはサンヘドリンという議会があって、ここが政治を担っていました。サンヘドリンの構成員は、きょうもイエスの敵として登場している祭司長、ファリサイ派といった人たちですから、政治と宗教が一体化していたということです。イエスは決して政治的行動を取ったわけではありません。神様のことしか語っていないわけですから、あくまでも宗教のことで彼らと議論していただけなのですが、宗教の権威者が政治の実権も握っていたために、話は徐々に政治的になり、法で罰せられ、とうとう処刑に至りました。敵と戦うイエス、戦うことを辞さないイエス像が、エルサレムでのイエスです。
敵をも恐れないイエスの過激な一面とはうらはらに、イエスにはもうひとつそれとは対照的な側面もあります。それは日本で最も愛されている讃美歌が歌うイエス様です。「慈しみ深き友なるイエス」です。後で一緒に歌いますが、あの歌詞で歌われているイエスには、きょう私たちが向き合っている過激で向こう見ずなイエスはまったく出てきません。「慈しみ深き友なるイエスは 罪とが憂いを取り去りたもう 心の嘆きを包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を」。慈しみ深いイエス、私たちの嘆きを受け止めてくださるイエス、罪を取り除かれるイエス、私の重荷を担って下さるイエスです。私たちを憐れみ、愛し、赦してくださるイエスです。こちらのイエス像では、むしろ戦いを放棄するイエス像が見えてきます。
過激なイエス、そしてそれとは正反対に慈しみ深いイエス。戦闘的なイエス、そして反戦論者のイエス。いったいどっちなんだと思ってしまいます。両方ともそうだと言うしかありません。そういうわけもあって、イエスの教えと行動から、いろんな教会が誕生しました。いろんな教派が生まれました。社会問題に熱心な教会もあれば、イエス様の赦しと救いを熱心に説く教会もあります。さらには癒しを強調する教会もあります。それだけイエスの福音は多種多様なのです。イエスのそうした福音の多面性をひとつのタイプの教会がすべてを出せるといいのですが、それはなかなか難しいこと。いろんな教会があって、それぞれ独自にイエスの救いのメッセージを多面的に伝えているのです。私はそれが教会の個性、教派の違いだと思っています。
このたとえ話の登場人物たちが誰のたとえになっているのかというのは、わかりやすいのではないかと思います。主人とは神様で、農夫が祭司長やファリサイ派です。そして主人に遣わされた僕たちとは、旧約聖書に出てくる預言者たち。きょうのイザヤもその一人です。僕たちがひどい目にあったので、主人はとうとう最後に息子をぶどう園に送り込むのですが、この息子は最もひどい目にあい、殺されてしまいます。この一人息子とはイエスその人を指しているのじゃないかと、見当がつくと思います。
このお話のあとにイエスはコメントを加えてこう言います、「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える』」これは詩編118編からの引用です。捨てられた石、それが隅の親石となった。隅の親石というのは、建物や門を石で作るとき、真ん中ではなくて角っこに据えるけれども、その石が全体を支える要の役割をする石のことです。捨てられた石が隅の親石になったという詩編の言葉が、イエスにおいて実現します。
「捨てられた」、不要とみなされた、邪魔者扱いされた。少なくとも人々にはそう見えたのです。残虐な十字架刑ですから、そう見えて当然でしょう。けれどもこの悲劇から、いのちの復活が起こります。パウロは復活のイエスと出会い、そのことがきっかけでイエスの救いを世に伝える人となりました。パウロは十字架という悲劇のうちに、いのちの勝利を見いだした最初の人です。
十字架という運命に至ったのは、やはりイエスが過激な活動をして権力者を怒らせたからなのですが、捨てられた石が隅の親石となったのは、イエスが大胆で過激だったからではありません。自分を無にしたからです。捨てられた石が親石になったのは、自分を無にして人々を愛し尽くしたからです。その一部始終の出来事のうちに、神様が共におられたのです。そして主イエスがいつくしみふかき私たちの友だったからです。私たちの罪、咎(とが)、憂いを取り去ってくれて、重荷を共に担ってくださる方だからです。私たち一人一人のいのち救い主です。ここに福音の真髄があります。