説教「亜麻布が告げる復活」
使徒言行録10章34~43節
コリントの信徒への手紙一 15章1~11節
ヨハネによる福音書 20章1~18節
主の復活主日(2021年4月4日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹

 復活の朝の第一朗読は、旧約聖書ではなく、使徒言行録からです。きょうから復活の主日が始まるわけですが、復活節は第一朗読として使徒言行録を読みます。イエスの復活について使徒言行録の記録から毎週聞いていきます。まず復活の日のテキストは、ペトロの証しです。ペトロがイエスが復活したことを人々に告げている場面です。証しする場所は、コルネリウスという人の家です。コルネリウスはイスラエルに駐屯するローマ帝国の百師団の長を務めていた人です。ユダヤ人のペトロが、ローマ軍の隊長さんの家にいるのです。10章の初めから読み始めると、そのあたりのいきさつが書いてあります。コルネリウスは信仰心があつく、神を畏れ、ユダヤの人々に多くの施しをして、絶えず神に祈っていた人とのこと。あるときコルネリウスが幻をみて、その中でペトロを家に迎え入れるようにとの声を聞きます。また同じころペトロも祈りの中で幻によって示されて、ユダヤ教の教えでは交際してはいけないとされていた異邦人と、これから関わっていくことを決断します。コルネリウスの部下がペトロを迎えに来て、ペトロが彼の家を訪ねることになったのです。

 「人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました」(使徒言行録10章39節) 。このように語って、ペトロが大胆にイエス・キリストを証しするのです。・・・あのペトロが、という思いになります。イエスが取り押さえられた時、近くにいながら「そんな人を私は知らない。まったく関わりがありません」と言って、イエスを裏切ったあのペトロが、イエスのことを、イエスの復活を力強く証ししているのです。大胆にもペトロを変えたのは復活でした。十字架から目を背け、逃げていったペトロを、もう一度イエスのもとへ連れ戻した出来事、それが主イエスの復活だったのです。

 二つめの証しはパウロです。コリントの信徒への手紙Ⅰからで、パウロがイエス復活について証ししています。パウロ自身が書いた言葉です。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」(コリントの信徒への手紙一 15章3~8節) 。ちなみにケファとはペトロのことです。パウロ自身も復活した主イエス・キリストと会ったと書いているのです。

 ペトロはもともと漁師で、ガリラヤ湖で漁をしていたところをイエスに声をかけられ、人間を漁る漁師になりなさいとイエスに言われて弟子になりました。ユダヤ人といってもユダヤ教の律法をどこまでわきまえ、それに従ってきちんと生きていたか、これはちょっと首をかしげたくなりますが、とにかくペトロはイスラエルしか知りません。ガリラヤ弁しか話せなかった人です。一方のパウロはというと、もともと律法学者でとても教養豊かで、ユダヤ教の教えをきっちり守って生きてきた正真正銘のエリート。ギリシャ語も堪能で、ローマの市民権を持っているほどの国際人です。ペトロとパウロ、キャラクターがまったく異なる二人です。この二人が、声を揃えてイエスの復活を証しするのです。そういう意味でも二人のイエス復活の証しは、とても意義深いものがあります。

 この証しがあるから、イエス・キリストの教えはその後世界へと広まったといえます。パウロはこの手紙の中でこんな言葉も遺しています、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」(コリントの信徒への手紙一 15章14節) 。イエス復活のインパクトがどれほど強烈だったか、こうした言葉から聞き取ることができます。

 ペトロとパウロの証しを聞いたわけですが、では福音書はどうでしょうか。どんな復活の証しなのでしょうか。きょう私たちが受けとっているのはヨハネ福音書です。

 まずは登場人物を整理するとマグダラのマリア、ペトロ、そして名前はないですが、「イエスが愛しておられた弟子」という人物がいます。三番目の「イエスが愛しておられた弟子」とは、この福音書を書いた人すなわちヨハネのことだと考えることもできますが、定かではありません。この三人がイエスが埋葬された墓までやってきました。十字架刑があってから三日目の早朝のことでした。最初にやって来たのはマグダラのマリアです。他の福音書によると、そのときマグダラのマリアの他にも別の女性たちが同行していますが、ヨハネ福音書ではマグダラのマリアが一人でやって来ています。彼女が見たのは、墓にかぶせてあった大きな石の蓋が取りのけてあったことです。それにびっくりして、彼女は弟子たちが集まっていた家へ急いで行ってそのことを伝えます。すぐさまペトロともう一人の弟子が墓まで駆けつけます。そのときの様子が4節にありますが、二人一緒に走ったけれど、途中でペトロは息が切れたみたいで、後れを取ったことまで書いてあります。彼らはイエスの遺体が盗まれたと思って、息を切らして駆けつけたのです。

 墓に到着すると、遅れてやってきたペトロがまず中に入ります。するとそこにはイエスを包んであった亜麻布だけがありました。頭をくるんであったもう一枚の布は、少し離れたところに丸めておいてあります。このようにけっこう詳しい描写なので、私たちにもまるで小説を読んでいるように想像できます。その時二人の弟子は、イエスの遺体がなかったという事実だけを確認し、取り去られたに違いないと考えたのです。もうどうすることもできないと、すごすごと家に帰っていきます。ここまでの記述には復活の証しはありません。・・・けれどもマグダラのマリアは、その場所を離れることができませんでした。悲しくなってただ涙するしかありませんでした。

 復活の主は、そのマリアに現れました。弟子たちがみた亜麻布と頭をくるんだ一枚の布は、マリアには天使に見えたのです。「婦人よ、なぜ泣いているのか」と、亜麻布が語りかけてきたのです。声が聞こえたのです。

 ヨハネ福音書では墓にやって来た女性はマグダラのマリア一人で、他の福音書によると複数の女性が同行していたと先ほど言いましたが、いずれにしても、復活のイエスと真っ先に出会ったのはマグダラのマリアをはじめとする女性だったという点は、とても興味深いことです。復活したイエスの最初の目撃者は、使徒と言われて共に働いた男性の弟子ではなく、女性だったのです。一番弟子のペトロでも、イエスが愛した弟子と言われた匿名の弟子でもありません。いろんな機会にイエスと出会い、イエスに癒され、憐れみを受け、慰められ、そして罪を許された女性たちだったのです。十字架に貼り付けられてもイエスから離れず、墓までついて行って最後まで見届け、その後も香料と香油を用意して葬りの準備をした女性たち、エルサレムで宣教活動をするイエスに食事の用意をし、一日の疲れをねぎらいおもてなしの心づくしをした女性たちこそ、復活のイエスの最初の目撃者、証人です。ペトロやパウロが人々に大胆にイエスの復活を証ししたわけですが、復活したイエスが真っ先に姿を見せたのは、まぎれもなく女性たちだったのです。そのうちの一人マグダラのマリアがイエス復活の第一声をあげたのです。「私は主を見ました」。

 私たちの関心と注目が集まるのは、パウロの手紙でありペトロのメッセージでしょう。彼ら男たちが命を賭してイエスの福音を語り伝えたことは後世まで偉業として称えられ、その功績が覚えられていますが、イエス復活の第一目撃者は、最後まで心を尽くした女性だったということは、私たちの記憶にもしっかりとどめておきたいことです。

 「イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った」。安息日が明けた日の早朝まだ薄暗いころ、静寂しきった空気を二つの言葉が行き交いました。「マリア」「ラボニ」。静まりかえった中でのイエスとマリアのかすかな会話です。この瞬間、主イエス・キリストの救いがこの世に広がり始めたのです。かすかな会話がまるでビッグバンのように爆発し、福音が広がっていったのです。「私は主を見ました」という喜びの声となって駆け巡ったのです。