証 説教「アメイジンググレイス」
ヨハネによる福音書 15章1~10節
使徒言行録14章17節
聖霊降臨後第3主日(2021年6月13日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
曽我純神学生

 本日は、私の証の場としてこの時間を頂きました。今回の題であるアメイジンググレイスという言葉から証をしたいと思います。

 まず初めに、私の実家はクリスチャンホームではありません。キリスト教にも高校生になるまで関りも関心もありませんでした。神様という存在自体はいるのではないかと考えていましたが、それは神道的な、八百万の神々のようなものとして考えていました。中学生の時、祖父が米農家であった事もあり、農業従事者になることを希望していた私は、三重県にある愛農学園農業高等学校に進学しました。キリスト教を教育の土台とする全寮制の農業高校です。これが私とキリスト教との最初の出会いでした。この愛農学園への進学が、キリスト教神学を学ぶ道へと繋がる事となります。

 キリスト教を教育の土台としている愛農学園では、毎日の朝礼拝・夕礼拝や、聖書の授業、宗教改革記念講演、クリスマス、自由参加の日曜礼拝など、キリスト教学習の機会は多くありました。ですが、一年生後期の時、先輩から聖書研究サークルに誘われ参加し始めたのが、私がキリスト教への関心を持ったきっかけでした。このサークルに参加したからこそ、愛農学園のキリスト教教育を意義あるものとして受け止められたのだと思います。聖書研究サークルは週に一回、図書館で行われました。決められた聖書個所を参加者全員で朗読し、その聖書個所を通して、この一週間に自分がどの様な恵みを受けたかを分かち合いました。クリスマスには参加者を募り、泊りがけでクリスマスについての学びと、クリスマスキャロルなどの活動をしました。私はそこで、福音を分かち合うことの喜びを知ることができました。

 二年生になり、より専門的に農業実習を行うために部門分けが行われました。祖父が米農家であることもあり、稲作を専門的に学べる部門を希望しました。しかし、希望者が多く定員オーバーとなり、先生や両親との話し合いの末、私が第一希望の部門を諦める形となりました。当然、他の部門に行こうにも第一希望の人が優先され、希望者が少なく定員割れを起こしていた果樹部に入る事となりました。第二、第三希望でもなかった果樹部への配属でしたが、もしこの時、他の部門へと行っていたら、私が神学をもっと学びたいとは思わずルーテル学院大学に来ることもなかったでしょう。

 果樹部では主に、ブドウ・キウイ・梅・柿などの果樹を育てていました。特に有機農業で育てられたブドウは私にとって重要な存在となりました。本日朗読しました、ヨハネによる福音書15章に記されている「私はまことのぶどうの木」に代表されるように、私は果樹部の実習を通して、聖書が伝える福音と恩恵を肌で感じることができました。

 私にとって思い出深いエピソードを一つ紹介します。私が三年生になった年、極端に雨が少ない月がありました。収穫前のブドウにとって水分不足は非常に重要な問題であり、タンクに水を目一杯入れ農地に撒かなければならないほどでした。しかし、人力で撒ける水の量などたかが知れており、根本的な解決にはなりません。正に焼け石に水の状態であり、雨の降る日を待つ日々が続く中で、人間の無力さを痛感しました。先ほど浅野先生に読んでいただいた使徒言行録にはこう書かれています。

「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです」(使徒言行録14章17節)。

 農業技術の発達により人間が祈る事しか術がなかった問題を、肥料や品種改良、農薬などにより、科学的に解決できるようになりました。しかし、それらの人間の業は、神様が与えてくださる一日の雨にも及ぶものではありません。人間にできる業はわずかなものであり、恵みを与えてくださるのは神様なのです。神様の力を農業を通して実感しながら得られる収穫物は、正に神様からの恩恵です。この経験は、聖書研究サークルでの分かち合いでさらに思い起こされ、神様の福音をより実感することができました。私は愛農学園での生活を通して、神様から恩恵を受ける喜びと、福音を多くの人と共有する喜びを知ったのです。

 こうした学びの中で私は、学ぶチャンスが多くある内に、さらに専門的な神学を学びたいと考えるようになりました。その時の進路担当の泉川道子先生はルーテル教会との関わりがあり、ルーテル学院大学を紹介してくださいました。愛農学園と同じ様に少人数制の教育を行っていた事も魅力的であり、泉川先生からの強い後押しもありルーテル学院大学に進学しました。

 ルーテル学院大学では講義のある日は、ほぼ毎日学生がお昼の礼拝を行っています。ある時、私にもメッセージを担当する機会が訪れました。そこで私は初めて、自分の受けた福音を他の人に伝えるという経験をしました。多くの人にわかりやすく神様の福音を伝えることは、聖書研究サークルで福音を共有することよりさらに難しく、当時チャプレン助手であった多田先生と何度も話し合いながらやっと原稿を作ることができました。この経験はルーテル学院大学だからこそできたことです。そして、私もチャプレンスタッフとして「礼拝を執り行う」側として奉仕する事となりました。

 チャプレンスタッフはチャプレンによって選ばれ、毎日お昼に大学のチャペルでの礼拝や、クリスマスなどの特別な礼拝を礼拝委員会と協力して行うための組織です。ルーテル学院大学の礼拝は、ほとんど学生によって執り行われており、メッセージ者もほとんどが大学の学生です。メッセージの依頼、式文の作成、司式者など礼拝に必要な多くのことを学生が主体となって行っており、スタッフは多くの時間を毎日の礼拝のために捧げます。また、クリスマスや一日神学校などのイベントでは一ヶ月以上前から準備を行っています。多くの課題がありましたが、礼拝が無事行われた喜びはいつもありました。チャプレンスタッフとしての奉仕は私の信仰生活の大部分を占めており、奉仕できる喜びを知ることができました。

 しかし、いつも順調であったわけではありません。自分の信仰生活には多くのつまずきがありました。入学してしばらく経った頃「自分は神様から離れてしまった」と感じるようになってしまいました。今まで神様から恵みを受けていると感じられていたのに今はそうではない。そうした胸の内をチャプレンスタッフの集まりの中で告白したことは一生忘れないでしょう。そのような悩みは約一年続きましたが、それは私の思い過ごしであった事に気づかされます。

 私が高校生の時、農作業や収穫という神の恩恵を受けていました。それは「物」を通して与えられる神からの恩恵であり、とても濃度の高いものです。愛農学園では「物質」として神様から恵みを受けていました。また、愛農学園での寮生活はその中だけで、神様の伝える恩恵を中心として、農業や教育と繋がり合う環境でした。しかし大学生の時は、一人暮らしの生活、アルバイト、大学での学習がそれぞれ独立し合い、神様の伝える恩恵と繋がりにくい環境でした。私は、神様から既に与えられ続けている恩恵を見失っていました。愛農学園で経験した「物質」的な恩恵は、学園内の生活環境と繋がり、大きなものとして私の中に印象付け、それに固執させたのです。しかし、それは恩恵ではありますが、主イエスキリストが伝える本当の意味での恩恵ではないことに気づかされます。いや、もっとはっきりと言うなら、私は主イエスキリストを見ていなかったのです。教会生活とチャプレンスタッフとしての活動が、この気づきと主イエスキリストへ目を向けるきっかけとなりました。この気づきのきっかけを、皆さんと分かち合いたいと思います。 

 毎年、チャプレンスタッフは新入生向けにお祈りや賛美について説明するメッセージを行っています。私はそこで聖餐式について担当しました。私はそのメッセージで「私たちは日々の中で神様の救いを忘れてしまう事がある、聖餐式はそのような私たちを神様の下に立ち帰らせてくれるものであり、それ自体が既に救いとして与えられている」と新入生に伝えました。このメッセージが私自身にも気づきを与えてくれたのです。私は神様の下に立ち帰るために聖餐を受けている、教会に帰っているのだと。私は教会に帰ってくることで、私と神様が常に繋がってくださっている事を再確認することができるようになりました。 

 これで終わりではありません。神様は私たちの思いと考えを高く超えられる方です。神様は唐突に、前触れもなく「繋がり」以上のものをすでに私たちに与えられていることをイースターの夕礼拝で、私に示されました。初日の教会実習が終わり疲れ切って寮に帰ってくると、母教会である三鷹教会で夕礼拝があることを思い出します。休んでしまっても良いかと、倒れこんだベッドの中で考えていました。しかし、始まる直前になって、いや行こうと、教会へ突き動かされたのです。神様はその礼拝の中で、私達は聖餐の時、パンが裂かれ渡されるとき、私達のために今ここにいる神に、主イエスに出会っているのだと私に示されました。これが私にとっての福音であり、アメイジング・グレイス、大いなる恩恵です。私にとって教会は神様の下に帰る場所であり、神様が私に常に恵みを与えてくださること、私達のためにここにいる神に出会う場所であることを知ることができました。そして私は、牧師への志を確かなものとすることが出来ました。

 ケセラセラという言葉を御存じだと思います。「なるようになる」という意味の言葉ですが、何処か投げやりであまり良い印象ではないかもしれません。ですが、私達と神様との関係の中であればそうではありません。つまり、「神様によってなるようになる」私を神様に委ねる、という意味の言葉に変えることが出来ます。過去の私は少し先の未来でやりたいことをするために選択をしてきました。自分が一〇〇%ではないかもしれないけど「なりたいようになってきた」し、今ここに立つように「なるようになってきた」。そしてそれは、神様によって備えられ守られた道、神様によって「なるようなってきた」道でした。進んできた道を振りかえると、奇跡的な繋がりの連続でした。私が公立の農業高校に進学していれば、キリスト教を教育の土台としている学校でなければ、進路担当の先生がルーテル教会と繋がりを持っていない人であったら、この他にも「もし別の選択をしていたら」と考えることは多くあります。それらが一つでも欠けていたら、私は今ここにいないでしょう。私の思いと考えを超えて、神様は進む道を繋ぎ、整えてくださったのです。私が今まで歩んで守られてきた道は神様によって備えてくださった道であるし、これから歩むであろう未知の道も神様が備えてくださいます。そして今、神様は私に、教会に牧師として奉仕する道を示してくださっているのだと信じています。神様が今私をここに立つように「なさった」と確信をもって言うことができます。

 私は教会の中で福音を伝える側として、私を神様の枝として献身し、教会が全ての人にとって帰ってくる場所であること、他の誰のためでもない、かけがえのない私達一人一人のための神、主イエスに出会う場所であることを伝えられる牧師になりたいのです。これが私の証です。