説教「復活の朝、佇むマリア」
ヨハネ20:1~18
復活祭(2015年4月5日)
日本福音ルーテル市ヶ谷教会礼拝堂(東京都新宿区市谷砂土原町1-1)
牧師 浅野 直樹

 静かに始まった復活
 イースターは、キリスト教にとって信仰の原点ともいえる大きな出来事です。毎年、世界中の教会がこぞって祝う、喜びにあふれた行事です。そんな嬉しく楽しい主の復活イースターですが、これがどのようにして始まったかというと、実はとても静かだったのです。どのように静かだったか、そのあたりからお話していこうと思います。イエス復活の第一証言者はマグダラのマリアという女性でしたが、彼女がイエスの墓へ出かけていったのは、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうち」だったとあります。世間がまだ寝静まっていて、あたりには誰もいないような時間帯でした。一日で最も静かなときです。

 空っぽの墓
 そのとき最初に彼女が見たのは、墓にかぶせてあった大きな石が取りのけてあったことでした。それだけでした。彼女がそのとき中を覗いたのかどうかは、ここからはわかりませんが、他の福音書をみると、どうやら中へ入ったようです。そしてイエスの遺体がないことに気づいて、びっくりして他の弟子たちのところへと走って戻ります。「主が墓から取り去られました」と告げ知らせるのです。

 石が取りのけてある、そしてイエスが墓の中にいない。このふたつの異変は、マリアにとって、まだ復活のしるしとはなっていません。イエスの遺体が盗まれたというしるしでしかなかったのです。

 知らせを受けたペトロともう一人の弟子は、大変だとばかりに急いで墓へ出かけます。このふたりにとっても同じことで、空っぽの墓はやっぱりイエスの遺体が盗まれたというしるしでしかなく、そこから先へと思いは広がらなかったのです。

 塞いだ心
 このときマリアもペトロも、そしてもう一人の弟子も、心が閉じていたのです。無理もないと思います。この人こそはと信頼し、大いに期待をかけて、自分の人生のすべてを託したリーダーが、権力の前になすすべなく打たれ、侮辱され、処刑されてしまったのですから、心はしぼむのも当然です。すべての思考がそこで停止してしまったのです。マリアは悲しくて、空っぽの墓の前でただただ泣くことしかできませんでした。

 心が閉じてしまうとどうなるかというと、たぶん皆さんも経験がおありでしょうが、なにもしたくありません。考えられないし、元気を出そうと思っても出ない。そういう状態に陥ります。うつという名の病名がついたりします。そうなってしまう原因はいろいろとありますが、大きな悲しみやショックを経験すると、それがきっかけで心が塞いでしまいます。イエスの弟子たちもまさしくそうでした。

 消えた約束
 「人の子は苦しみの後、三日目に復活する」とイエスは弟子たちに言い残しましたが、このイエスの言葉は、残念ながら彼らを支えることはできず、十字架上にかけられたイエスの衝撃的な姿を目の当たりにしたとき、「復活する」というイエスの言葉は、彼らの心からすっかり消えてしまっていたのです。「マリアは墓の外に立って泣いていた」と聖書は告げます。このとき、マリアはまだ主イエスが復活したことに気づいていないのです。ですからマリアにとってこのとき、イエスの復活はまだ起こっていなかったのです。「マリア」と声をかけられ、振り向いて「ラボニ」と細々とひとこと答えて、ようやくイエスの復活を受け容れたのでした。

 墓の中
 ペトロともう一人の弟子はどうだったでしょうか。何度も出てきますが、もう一人の弟子というのは、実はこの福音書を書いたヨハネ自身だという見方が有力ですので、ここからはヨハネと申し上げます。ペトロとヨハネは、マリアの知らせを聞いてあわてて家を飛び出し、駆け足で墓へ向かいます。4節によると、ヨハネがペトロを途中で追い抜いたようです。ペトロは途中で息切れしたのでしょうか。イエスがいない空っぽの墓のことを思うと、こんなことどうでもいいのですが、ヨハネは、この福音書を書いた自分のことだけに、後からでもはっきりと覚えていたのでしょう。こうしたちょっとしたエピソードから、ふたりが必死になって墓まで走って行った様子がほんとうによく伝わってきます。自分のほうが早く墓に到着した、ということまでヨハネは書いています。ちょっと誇らしげだったかもしれません。ただ、ヨハネは墓をのぞき込んだだけで、中には入らなかったとあります。一人で墓の中に入るのが怖かったのでしょうか。あるいはペトロが到着するのを待って、一番弟子のペトロに第一確認を譲ったのかもしれません。とにかくペトロがまず中へ入り、少し遅れてからヨハネも入りました。どっちが先でもいいように思いますが、福音書記者ヨハネが、ここのところをとても気にしているのが伝わってきて、
ちょっとおもしろいですね。彼の記憶も鮮明だったのでしょう。

 問題は墓の中へ入ったあとです。たしかにイエスの遺体はありません。遺体がない代わりに、頭を包んでいた覆いと体を包んだ亜麻布が、それぞれ別々のところに置いてあるのを二人は目撃します。しかもていねいに丸めてあったと書いてあります。イエスのからだに巻き付けてあった布ですが、だれかがそれをほどいて丸めて置いたのを、二人は見たのです。このあたりもとても細かくて、まるで小説を読んでいるようです。

 そして8節はこのように告げます、「先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」。いっしょに目撃したペトロのことまでは書いていません。ヨハネは自分のことを書いています。ヨハネは、来て、見て、信じたのです。イエスの亡骸を包んであった布が丸めておいてあるところだけを見て、ヨハネは思い出したのです。「人の子は苦しみの後、三日目に復活する」というイエスの言葉を思い出したのです。それだけで主イエスの復活を信じることができたのです。このとき二人は、言葉を交わしたのかどうかわかりませんが、二人ともお互いに何も語らず、ただ墓の洞穴の中で立ちすくんでいたのでしょう。言葉を交わさなくても、きっと顔と顔を見合わせるだけで、お互いの気持ちを読み取れたのではないでしょうか。「主はほんとうに復活なさったのだ」と。マリアは復活のキリストと出会い、「ラボニ」と言い、主のよみがえりを知りましたが、ペトロとヨハネの場合は、イエスとの出会いではなく、空っぽの墓と脱ぎ捨てた亜麻布だけで信じたのです。ペトロとヨハネには、脱ぎ捨てた亜麻布、マリアにはイエス自身が、主の復活を告げ知らせました。

 「わたしは主をみました」
 復活の主イエスとの出会いの仕方は、それぞれ違っているけれど、いずれの場合も、その瞬間の空気は、静けさだけが伝わってきます。・・・主イエス・キリストの復活、それはとても静かな出来事だったのです。中に脱ぎ捨てられた布を見て、ただ顔を見合わせる。なにが起こったかをお互いに確認しあう。そして信じたペトロとヨハネ。「マリア」・・・「ラボニ」。そのときマリアが交わした言葉は、たったこれだけでした。けれどもこれで十分だったのです。歴史を塗り替えた出来事は、このように目立たず静かでした。歴史の事実というのは、えてしてそういうものではないかと思うのです。

 その後マグダラのマリアは、弟子たちのところへ帰っていって、こう言います、「わたしは主を見ました」。この一言に大きな広がりを感じます。塞いでいたマリアの心の広がり、そしてさらに家に閉じこもっていた弟子たちの心をも一気に開く言葉でした。マリアはどんな表情でこの一言を語ったのでしょうか。緊張と興奮からこわばっていたのでしょうか。それとも口元に笑みをたたえていたのでしょうか。福音書は特に何も告げていません。ヨハネはこのとき家の中にいなかったのでしょうか。いればきっと、そのときのマリアの様子を表情豊かに書き留めてくれていたかもしれないと思ったりします。

 「わたしは主を見ました」。戸口で佇んで、弟子たちに告げたマリアのこの一言も静かだったかもしれません。静かでも、これぞまさしくイエス・キリスト復活を告げる第一声です。ここから時を越え、空間を越えて、私たちにも伝えられ、喜びを受け取ることができるのです。

 生きるいのちというのは、わたしたちが考えるほどに小さくはないのです。主イエスにつながるいのちは、死んでも生きるいのちです。私たちの思いや考えや想像力で、これを小さくしてしまってはいけないと思うのです。人間の縮こまった心と狭い視野で神様のいのちの豊かさを遮ってはなりません。与えられたこのいのち、主イエスに委ねて、心を広げて、ハレルヤと主を賛美しながら歩みましょう。